*** テキトー絵日記 ***

(2005/07/11)

タイ旅行番外編

深夜のタイ国際空港の出国エリアにて

なぜこんなふてくされた足の写真がタイトルバックなのか?それをこれからお話しましょう。はじまりはじまり〜〜。

今回のパックツアーは成田便、関空便、名古屋便と皆さんバラバラだった。なので一番早くバンコクを出る成田便の出国時間に合わせてバンコク空港に着いた。これが夜の8時。ボクたちの乗る名古屋便は4時間後の23:55出発予定だった。

おまけにこの名古屋便が少し遅れていて搭乗ゲートが不明のまま搭乗券を発行してもらった。ガイドさんも名古屋便は遅れているようですねとのことだった。ここから搭乗のアナウンスがあるまで待った。最初は買い物とかもしていたがなにしろ4時間もあるので最後はじっと搭乗案内の電光掲示板を眺めていた。

なかなか名古屋便の案内が出ない。その後の出発便の案内は出たりしているのに。イライラして待っているとようやく本来の出発予定の25分前、つまり23:30になってボクたちの乗る予定の名古屋便の案内が掲示板に出た。そのとき数字は「1」とあった。待ち疲れていたのでヤレ嬉しとばかり1番ゲートへ行った。これがタイヘン。あのドデカイ空港の一番端っこなのだ。

行ってみれば端っこの1番から7番ゲートはバスとタラップ車で飛行機に乗る地上ゲートだった。行ったときにはアジアのどこかとコペンハーゲン行きの人たちでごった返していた。ここで手荷物チェックを通った。そのとき係員がちょっと待ってというジェスチャーをした。ボクたちの提示した搭乗券には搭乗ゲートがプリントされていなかったから。でもしかしこの一番端っこの1番ゲートはJALなのでした。なのでOKと通してもらいここでボクたち夫婦は搭乗が始まるのを待った。

待ってるだけでは面白くないので特にこのコペンハーゲン行きの人たちを人間観察などして遊んでいた。なかなかJALの搭乗が始まらないのを気にしながら。そうしつつも何かアナウンスがあるといけないと思い耳は注意深く英語の放送を聴いていた。しかしこの1番から7番専用の地上ゲートに来てからはほとんど放送がない。よくよく確かめてみればここは地上搭乗口に関するアナウンスだけしか流れていないのだった。

さてお立会い!このコペンハーゲン行きの飛行機が深夜の1時過ぎに出たあとはこの地上搭乗口にはちょっとの人しかいないことに気づいた。そこでボクは自分のチケットを手荷物チェックの係員に見せて確認してもらったら彼女の顔色がサッと変わった。そしてそのまま電話を取ってタイ語でアイヤ〜コイヤ〜と早口で話してからボクに言った。「ソリー、サー。飛行機はもう出ました。」「え!?」と絶句するボク

「え!?だってここはJALでしょ?」
彼女(英語で)「ええ、でもここは今晩はもう誰もいない。」
ボク「誰もいない〜?えーー!そんなあ、いったいどうしたらいいんだ〜〜〜!?」
彼女「もう一つ別のJALカウンターがあるからそっちで聞いて」
ボク「そこは何処?」
彼女「このエアポートの反対側!」
またも絶句するボク。いったいそこまで何キロあるんだ〜〜?(ちょっと大げさ)

でえっちらおっちらと反対側のJALカウンターに到着したら時すでに遅くカウンターは無人。近くのインフォメーションのタイ女性にこのいきさつを英語で説明しJALの会社の人のいるところの電話番号を教えてもらい電話するがここも無人。インフォメーションの電話を借りて掛けていたのでそのままツアー会社の現地スタッフに電話するも誰も出ず。ええいとばかり旅行保険の緊急連絡先に掛けるがこれもつながらない。不思議だ。なぜだ。あせるボク。(実はインフォメーションの電話は空港内専用だったことに後から気づいた。なにしろあせりまくっていたからそんなことにも気づかない)このときすでに深夜の1時半。

そしたらあちこち電話をしまくってあせっているボクを見ていたらしい別の空港職員が「JALは明朝6時に人がくるからそれまで待つしかない」と説明してくれて、ここまであーだこーだとややこしいハナシをつたない英語で説明して頭も体も疲れまくり気もあせっていたボクはガックリとして朝まで待つ覚悟をした。しかしすでに持っていたドルとバーツは使い果たして金欠なのだ。唯一売店で使えそうなのは5ドル紙幣一枚。さあどうなる、バンコク国際空港の夜は更けていくのだった。つづく

ではなくて

たった5ドルをどう使うか?やっぱり水分補給が大事でしょう。幸いホテルでくれた最後のミネラルウォーター2本はバッグに入っていたのでそれを少しずつ飲んで水分とお腹すいたのをごまかすのに当てたがやはり最後はこれだけでは持たない。なにか食べたいところだが5ドルではなあ。空港内では、というかキオスクみたいなところでは品物の値段はバーツでしか書いてないのでドルでいくらかが分からない。換算するのも面倒だしレートが結構変わっているみたいだったので、試しにこの5ドル札でジュースを買ったらおつりは3ドルだった。えーー、あんな小さいパックジュースが2ドルもするのか。やはり空港は高いなあ。あんな飲み物、日本のスーパーだったら100円もしないぞ、などといきがってみるがそれも分かったハナシだ。

ロビー内のやたら座面の高い椅子で朝を待つべくホームレス風に過ごしてみるが、アナウンスがなかったことや不安や怒りやなんやかやで全く眠れず。10分おきに時計をみながら朝を待つ。

朝6時。JALの電話先に誰か出勤してる時間になった。怒りと不安と喜びの混じった手で番号をプッシュするボク。絶対に文句を言ってやる〜〜〜〜〜。と思ったら「ハロー」とタイ人の声。(再び英語で)「あーー、誰か日本語のできるスタッフはいませんか?」とのボクの期待に対して「ノー」。ええーー?JALなのに誰も日本語が話せないぃぃぃぃ?

しかたなくそこでこれまでのいきさつを英語で話すが結構腹は立っているので怒りの路線でいくことにして「いいかげんにしろ〜〜、マネジャーをだせ!日本語の話せるボスを呼べ。ビッグ・クレームがあるのだ!」とねじ込む。するとしばらくあちこちに連絡を取っていた彼女が「OK代わります」とのこと。やれやれやっと日本語で話せると思ったら今度電話に出た女性もやはりタイ人。かなりスムーズな日本語だがなにやらこれでダイジョーブかねえ?と思ってしまうボク。だれかもっとビッグボスはいないのか?に対して彼女は「日航タイマネージャはタイ人で、しかも英語しか話せません。それでもマネジャーと話したいですか」、だって。

OKあなたでいいからちょっと聞いてよ。
「わかりました。では今からそこに私が行きます。今何処ですか?」
今?インフォメーションデスクだよ。
「どこのインフォメーションですか?」
どこの?たって、だいたい空港の真ん中辺だよ。
「それは何階のインフォですか?」
何階?えーとここ何階にいるんだっけ?わーー、もうワカランよーー。
といろいろやりとりがあってやっとJALの人がやってくることになった。

やってきたJALの女性は賢そうで美人で超カッコいい人だった。(歩き方もとても綺麗だった。)それはさておき、ボクが文句があるのでエラい人がいいと言ったら「私がスーパーバイザーです」だって。さてここで昨夜のいきさつをもう一度怒り交じりに英語と日本語とボディランゲージで彼女に訴える。しかし彼女も負けてはいない。「アナウンスはしました。なんどもしました。呼び出しも何度もしました。人が探しにも行きました。そのために飛行機は遅れて出発することになりました」

しかしボクだって負けてはいられない。このあたりはちょっとクールな裁判劇での互いの主張のしあいっこみたいだった。

「ノー、JALはアナウンスをしたと言うかもしれない。しかしそれは1番から7番の地上ゲートには流れないのだ。それでは全館にアナウンスをしたことにならないではないか!」
「なぜあなたは1番で待ったのですか」
「それはかくかくしかじかでこうだからと言ったではないか」
「しかしその最初に流れたのは1番ターミナルの意味でゲートではないのです」
「しかし最初に数字が出たときはゲート番号が無かった。だから1をゲート番号と勘違いして待っていたのだ。それにそのエリアで全館の放送が流れないことは今からでも証明できる!」

さーーどうしてくれるJAL。訴えることだって辞さないぞなどと話す。昨夜からアチコチで英語で事情説明していたもんだからせっかく日本語の通じる彼女に対しても時折英文で抗議したりする。(実は案外英文のほうが自分を主張するには便利だと気がついた)

そしたらやっと彼女が「OK、どうしたいですか?」
「もうこんなところで待つのはイヤだ。さっさと帰してくれ!」
「しかし名古屋便は今晩の深夜しかありません。」
「大阪は?」
「関空なら二時間後の9:10にフライトがあります。」
「もうそれでいいから乗せてくれ〜〜」
とこうなって予定より9時間遅れで帰ってきました関西空港。行きはセントレアで帰りが関空という面白い結果。

しかも行きの高速船に乗るために津にマイカーを停めていたので大阪からまっすぐ帰るという訳にも行かず、空港からリムジンバスで上本町まで行って、近鉄で津、タクシーでなぎさ町、ここに停めた自分のクルマに荷物を載せてようやく伊勢にたどり着いたのでありました〜〜〜〜。やれやれ。

(しかしこのお陰でかえって妙な自信がついてしまったのも事実。はははは)

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