*** テキトー絵日記 ***

2015/05/05 (火・子どもの日


子供の日だって

子どもの日で思いついた絵柄 by G1X Mk2

今日のタイトルは勢いで昨日と同じように書いてみたものの、別に文句があるわけではない。それどころか、子どもの日、大いに結構。♪柱の傷は一昨年の〜五月五日の背比べ〜。今どき、こんなことで家の柱に傷を着けたら大っぴらに叱られそう。昔は子供のすることに寛容だったということか。ん?待てよ。子供の背丈を測って柱にマークするのは子供の親だったりするわけだから、家の柱に傷をつけることに寛容というか、鈍感というか、あるいは柱を大事にしないということになるかなあ。

プリセツカヤの死去でバレーの話題を昨日書いたら、偶然にも今日の披露宴の余興は正統派のバレーだった。バタフライ効果か、いや違うな、シンクロニティ(意味のある偶然の一致 from Wiki)か。するとこの場合の意味とは何なのだろう。今は分からないがきっと、後から、ああ、あの時の意味とはこういうことだったんだな、と分かることでしょう。そういうのがボクの考え方というか方針なのだ。

物事はそれをどう受け止めるかで意味が違ってくる。つまり最初の物事自体には意味が含まれていない。それを受け止める者がいて初めてそこで物事に意味が生じる。すると意味を決めるのは受け取る者の考え方ひとつということになる。

この考え方はタイヘン便利で実用的なので、これを知ってからは自分の生活に大いに役立っている。その代わり、常に自分が能動的というか判断をする側に立つので、気楽な受け身の受動態度ではいられない。何も考えないで群れに従う羊よりは、何をどうするかを自分で決める羊飼いに回るということだ。何事も人のせいにはしないというポリシーでもある。

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