広告抜粋 by G1X Mk2
文藝春秋の特別包装号を買ったら今年の芥川賞を受賞した二人の作品に加えて昭和二年に発行された「菊池寛編集・文藝春秋・芥川龍之介追悼号」が付いてきた。肝心の今年の受賞作はまだ読んでないのだけど、この昭和二年九月号の文春のレトロな味わいがなかなかでパラパラと拾い読みなどしている。
巻頭には芥川龍之介の遺稿として十本の針という名で彼の書いたエッセイが掲載されている。読んでみたが、ボクにはこれが近代西欧が神を殺して個人主義に陥ったことを批判するアドラーの主張といろいろ重なる部分があるように感じてちょっと驚いた。読みにくいかもしれないがなるべく文体を損ねないように最初の一、を写してみる。
一、或人々
わたしはこの世の中に或人々のあることを知つてゐる。それ等の人々は何ごと直覺すると共に解剖してしまふ。つまり一本の薔薇の花はそれ等の人々には美しいとともに畢竟植物學の教科書中の薔薇科の植物に見えるのである。現にその薔薇の花を折つてゐる時でも……。
唯直覺する人々はそれ等の人々よりも幸福である。真面目と呼ばれる美徳の一つはそれ等の人々(直覺すると共に解剖する)には與へられない。それ等の人々はそれ等の人人の一生を恐ろしい遊戯の中に用ひ盡すのである。あらゆる幸福はそれ等の人々には解剖する爲に減少し、同時に叉あらゆる苦痛も解剖する爲に増加するであらう。「生まれざりしならば」と云う言葉は正にそれ等の人々に當つてゐる。
ほかにもこの遺稿は十、まであるので、全部読んで見たい方は現代語訳で書かれたこちらのサイトでどうぞ→<芥川龍之介 十本の針>。
それはさて置き、本書は昭和二年の月刊誌(の復刻版)です。ほとんどのペエジは文章ばかりですが、広告の一部にはイラストも使われています。どういうわけかポマードもカルピスも若草色で刷られていますが、どうです、このデザイン性は?リアルなイラストのメヌマポマードに対してカルピスの描くシンボリックな家庭のデザインなこと。これが昭和二年ですよ。昔は古くない。