*** テキトー日記 (2000/03/24) ***

20世紀デザイン切手・第八集

れれれ?もう来ちゃったよ、これ。毎月一回発行って言ってたのに三月は2回も来た。さらにおまけに今日届いたこの第八集は、なんと朝日新聞の三重県版にもどど〜んと大きく写真入りで紹介されている。よっぽどほかの記事が無かったのね、ナンチテ。

なんで新聞にデカデカと紹介されていたかと言うと、今月(昭和12〜15年)は沢村投手が大きく印刷されているからなんである。80円の切手にもなっているが、切手シート全体の背景画として彼の投球姿が全面に印刷されている。

沢村投手の生家というのは、ボクの家のホントに近所でして、歩いて2分くらい。50mと離れていません。ところがボクは野球オンチでして、なんだかスゴい選手だったらしい、というくらいしか知りません。

昭和の30年代で少年達が外でするスポーツと言えば圧倒的に野球でした。相撲なんてのもあるにはあったですが、自分達がやるスポーツとしては、もうあまり人気はありませんでした。なんといっても野球。

でも、ボクはその野球が好きになれなかったんですね。だいたいあの小さな球を追って何人もが動き回るというのが好きじゃなかった。だからたまに人数が足りなくて無理やり野球に誘われても、打てない(バッティング嫌いでしたから)、投げられない(遠投なんて大嫌いでした。すぐに肩が痛くなるのだ)、捕れない(ちょうど近視が進みかけていてメガネをかけるようになる前ころですから)、という野球好き少年から見ればサイテーの小学生でした。

ところがボクのほうは、こんなのどこが面白いのだ??と本気で思っていましたから、上手になりたいとも思っていなかった。これは以後も変わらず、いまだに野球を観ても面白いと思ったことはありません。しかしそんなこというならサッカーでもゴールするシーン以外は面白いと思わないし、NBAなんかはスポスポと簡単にゴールし過ぎて面白くないし、ゴルフは興味を持ったこともないし、スキー、スケートなどのウィンタースポーツは寒くて嫌だし、マリンスポーツは泳ぎが下手なのでこれもパス。

当時の国民的人気だったプロレスも、親父が大好きだったボクシングもぜんぜん興味なし。そういや大学でも体育は大嫌いでろくに出席もせず、4年になってから単位不足でいやいやピンポンとかテニスとかのクラスを選択したりしていました。

まーそういうスポーツとは全く無縁のボクですが、ご近所さんでもあるので今日は沢村投手をご紹介。

つづく

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