懐かしい景色
小学生の頃は鉄棒が一番好きな種目というか、体育系の遊びだった。今みたいにサッカー人気など無い時代で、たいていの子は野球好きだったが、ボクはどうも野球とか卓球などのような小さい球を使ったボールゲームは苦手だった。
その代わり鉄棒とか跳び箱とかは大好きで、そんなに好きではなかったが短距離走も結構速かった。
小学校の時に、体育の授業で逆上がりがあった。ボクは問題なく出来るのだけどボクの友人がどうしても出来ない。体育の先生というのが予科練帰りの元特攻兵という、ホントかどうかは定かではないが、いつもそのことを口にしていたスパルタの先生だった。その先生は肋骨が何本か折れて、無いのだということを自慢にもしていた。
で逆上がり。夏休み中だったか、ある期間の間に全員上がれるようにしておけ、もしできなかったら〜〜ほにゃらら〜〜だぞ、とかなんとかのオドシを受けてビビったのがボクの友人。
こりゃタイヘンとボクがつきっきりで校庭の鉄棒で彼の逆上がり特訓を続けた。何度も何度もトライして、もうちょいでなんとかなると思った時、ボクが彼の体を補佐したつもりだったのだが、彼は驚いて手を離してしまい、逆さまの姿勢で鉄棒から下の地面に落ちてしまった。
頭は打たなかったものの、肩から地面に強打した形になり、彼はうめくだけで何も言わない。泣きもしない。
ボクはあせった。どーしよーかと思った。肩の骨が折れたかと思った。折ってしまった原因はボクにあるとも思った。どーしよ〜。考えた。近所に母親が以前入院していた病院があるのを思い出し、うめくだけの彼をそこに連れていった。
当然、保険証もなにも持っていない。うめくだけの太目の友人に肩を貸しながら、病院に入っていって「折れてるかもしれないので診てください」と通りがかりの看護婦さんに泣き付いた。
先生にちゃんと診てもらった結果は打撲というだけで骨は折れてもいないしひびも入っていないということだった。良かった。安心した。嬉しかった。ありがとうとお礼をちゃんと言ったかどうかも定かではないが、ホッとして二人病院を後にした。一銭も払わずに、というかだいたい現金など持ってもいなかったのだが、それにしてもいい時代だったと思う。病院も一円たりとも請求しなかったのだから。
後日談…結局彼は逆上がりが出来なかった。しかし例の先生の「もし出来なかったら〜〜ほにゃらら〜〜だぞ」のオドシは口ばっかりで、実際にはなにもそんな言ったようなことにはならなかった。なのでちょっと肩透かしだったのも覚えている。な〜んだ。
予科練…海軍飛行予科練習生の略称。1930年創設の飛行搭乗員養成制度で、旧制中学4年1学期修了者(甲種)、高等小学校卒業者(乙種)による志願制。