伊勢タウンマネージメントによれば、この商店街は「かつて筋向橋から外宮までの約1kmの間は山田の町の主要道路であった。古くから参宮街道沿いには市場が形成され、参宮街道が発達すると共に市場も繁盛していった。商店街の端にある筋向橋は昔、江戸から伊勢までの距離を江戸の日本橋からこの筋向橋までをもとに算出したといわれている。」と記されていて、ボクも知らなかったのだけど筋向橋(すじかいばし)はお江戸日本橋と対を成すほどの存在だったことが分かる。ひえ!ホントですか!
伊勢も全国の商店街と事情は同じで、こうした歴史ある商店街がどんどん寂れてきている。ここの隣には大正時代に栄えたという高柳商店街があって、大正12年生まれの父が子供のときは大層賑わっていたそうだ。そしてそのまま連結するように伊勢銀座新道商店街があり、こっちは戦後の賑わいを一手に引き受けていた大きな商店街だけど、今はどの商店街も見る影も無くシャッター通りと化している。
伊勢の商店街ではここだけが珍しくアーケードを設けてないのだけど、それが却って功を奏したのか、一時はかなり寂れていたのが最近は日中は結構活気も出ているようだ。近くに病院などもある関係で年配の人が多く、巣鴨の地蔵通りみたいな感じもしないでもない。もちろんスケールはそれよりうんと小さいのだけど。