今日はほぼ一日、病室に居て父の付き添いをしていた。ちょっと熱が出ていたので氷枕を換えたり頭をタオルで冷やしたりしていたのだけど、他には特にこれといった用も無いので、寝息を聴きながら読書をしていた。読書といっても雑誌なんかではすぐに読み終わってしまうし、だいたいあまり興味のある雑誌が無いので今日は小説を持っていって読んでいた。
しかしこういうシチュエーションで三島の「禁色」を読むのもなんか不思議な非日常感に包まれる。特に今日読んだ部分の「彼が夢想した作品は、〜中略〜
生の病気から癒された死の健康を漲らせているべきであった。」などというフレーズは、今のこの状況下で読むと妙な刺激となってボクの神経の一部を刺激する。もちろん三島が言うところの死とは、究極の昇華の形のことだろうから、老人がその寿命を全うする過程の最終段階とは似ても似つかないことであることは容易に想像できる。けれど死は死なのであって、そこに種別を見い出すのは死を見送る人の勝手な想像の産物ではないかと思える。
う〜む、どうもすぐに感化されてしまうボクなのであった。いや、なに朝から夜までずっと病室に居て、ほとんどの時間を読書していたのでアタマが文学調(風)になっているのでした。