with XR18-200mm
この写真は昨夜の薪能の舞台から。昨日の昼間に新生児の足を撮ったせいか、夜も能舞台での演者の足を撮ろうとした。自分ではこの写真が気に入っているが、もうちょっと説明的な写真も載せておこう。
外国の舞台芸能を例えてフェンシングとするなら、この能はまさに居合い抜きのようでもある。静逸な空間を切り裂くように大小の鼓が音を発する様は、これぞ日本的なるもの、刹那の芸術という感が強い。なにしろ常に一定のリズムに則る訳ではなく、掛け声とセットのようにして音を出す訳だが、そのタイミングはまさに気合であり呼吸である。
演者の方もほとんど動かず、とにかく静が基本にあるのだけど、それは安静の静ではなく、いつ崩れるかわからないような一瞬の爆発を秘めたような静なのだ。だから演者が、やや前かがみの少し不自然な姿勢を取り続けるのも、舞台の緊張感を観客に伝えるに十分なものがある。一方で、謡のほうは間延びした抑揚で、しかも古典的な言葉遣いなので、それが却って鼓や笛の醸しだす寂寥感を、余計に浮き上がらせる効果があるように思った。
ところで昨夜、初めて感じたことがある。それは何故、能舞台がいつも狂言とセットのようにして演じられるのかということなんだけど、どうやらそれは、静と動、悲劇と喜劇、緊張と緩和、寡黙と雄弁、、、そういうことなんだろうな。