浄土宗寺院にて by X10
ご近所の方がお亡くなりになったので告別式に出席してきた。少し前に参列した葬儀も浄土宗だったのだけど、内容というかお経の雰囲気がちょっと違うような気がする。よく調べてみると前回の寺院は同じ浄土宗でも西山禅林寺派というものなのでどうやらその辺りが違いのようだ。仏教の各宗派の違いとかには興味があるが知識として全然詳しくはないので、実際に見聞きする内容にはとても関心がある。
とはいっても仏教というものに関してほとんど何も知らない。せいぜいがインド発シルクロード経由で日本に伝来した大乗という考え方の宗教である、というくらいだ。じゃあ南方経由の小乗仏教とはどう違うのか。なんてことになると文字から受ける発想で、個人の解脱を求めるか(小乗)、集団で來世への到達を願うか(大乗)くらいしか思い浮かばない。もっともこの解釈で合っているのかどうかもよく分からない。
ちなみにWikipediaによれば、浄土宗とは承安5年(1175年)、法然43歳の時に開宗したとされ、本尊は阿弥陀如来、総本山は知恩院とのこと。念仏の南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏に帰依(南無)しますの意で、これを繰り返すことによって極楽浄土に往生することを願うもの。
じゃあその阿弥陀仏とは何者なのか、するとそれは梵名「アミターバ」という仏で、彼が西方にある極楽浄土の持ち主なのだそうだ。このアミターバは時間と空間の制約を受けないのだそうで、光の仏でもあるのだそうだ。大日如来を中心として東西南北それぞれに受け持ちの仏がいて合計5人の仏様の一人。う〜む、なんとか戦隊5レンジャーみたいなハナシになってきたぞ。
しかしこの5人の中心をなすとされる大日如来はどういう存在なのかとググってみたら、「万物を総該した無限宇宙の全一とされる汎神論的な仏」ということになった。スゴイ!仏の世界にも上があるのだ。ちなみに神仏混淆の立場ではこの大日如来を天照大神と同一視するらしい。
まるでビッグバンのような大日如来だが、結局のところ「もともとどこから発生したのか、不明な点が多く、今後の研究を待たれるところである。」(Wikipedia)ということなので、信じる者はいいとして、傍観者としての好奇心はここらで終点となってしまうようだ。