*** テキトー絵日記 ***

2015/09/10(木


自然災害で考えた

by G1X Mk2

いかにも台風一過の青空となった今日は気温も上がってクルマの外気温表示では31度を示している。空には秋の気配を感じさせる筋雲や巻雲に混じって、いまだに真夏風情を誇示するかのような積乱雲なども見える。

地元はこんなに穏やかな天気だけど、茨城や栃木では過去に経験のないほどの大雨が降り、特に鬼怒川の堤防決壊による浸水被害は大変なようだ。午後のテレビは各局ともこの洪水を中継していて、特に陸自のヘリによる住民救出の様子に焦点が当てられている。

洪水、津波、地震、火山噴火、台風、竜巻、考えてみればこういう自然災害は地域こそ分散しているものの、思ったよりも頻繁に発生しており、すると人の営みというのは災害と災害の間をぬって、偶然にも繋がった幸運の上に成り立っているのだなと実感する。天災は忘れた頃にやってくるのではなくて、天災と天災の間の僅かな隙間に普段の生活が成り立っているのではないかと考えてしまう。

そう考えると長い目で、しかも地球規模で見た場合、戦争や紛争といったものも古今東西、悠久の昔から途切れること無く現在まで続いていることに気がつく。これは自然災害と違い、完全に人為的なもののはずなのだけど、紛争や動乱のない社会を実現する答えを人類は見出してはいない。

自然災害がいつかは無くなると考える人はいないだろう。でも人間の手による紛争はいつか無くすことが出来るかもしれない、というのが理想主義者なんだろうけど、自然災害と同様にいつまで経っても一定の割合で常に戦争や紛争は起こると考えて、じゃあどうしたらいいかを考えるのが現実主義者だろうと思う。

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