by G1X Mk2
日曜の午後、とくればジャズの名盤で「JAZZ for a Sundayafternoon」というジャムセッションのシリーズ物があったことを思い出す。いかにもセッションと言った内容で、だから1曲が長い。当時のLPレコードで片面1曲とか2曲というのはザラだった。そんなのを聴いて育った?せいか、今のセッションシーンで皆さんがせいぜい2コーラス程度でソロを終えるのがなんだかもったいないというかアッサリしてるなあと思ったりもする。
もちろんそれなりのロングソロを取るにはネタというか各自のプレーヤーに引き出しも多く蓄えておかないとイケナイのは承知している。しかし本番で「う!もう無いっ!」と言った時から後に出てくるかもしれないものが本当のセッションの醍醐味であるというのは実際に経験済みだ。
ただそのためには一緒に演るプレーヤーはもちろんのこと、観客サイドにもある程度の忍耐が要る。常套手段的なフレーズが出切きってからの後に何が出てくるか、あるいは出てこないか、それこそが本来のジャムセッションの面白いところだったはずなのだけど、今はそんな悠長なことは言ってられない。
別の言い方をすれば、いろいろなところで予定調和が期待されていて、まさかの予定外を歓迎する、あるいはそうなるべく誘導するといった方策が共有されにくい。過去の名盤で一発録りのセッション物が圧倒的に60年代だったというのは、この時期こそがモダンジャズとしての最盛期だったことと一致していると思う。
これもその時代を反映しているからこそだろう、つまり今は長い時間を掛けること無く、パッと美味しいところ見せてサッと去るのがスマートな演り口なんだろう。ただそれゆえに底の浅いものしか出てこないような気がする。これって草食男子とか言われているのと同じ傾向なのかも。音楽の草食化というべきか?