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今日は2月3日の節分の日。しかしこの節分という言葉、今まで考えたこともなく使っていたがちょっと気になって調べてみた。すると節分とは季節を分けるという意味で、つまり明日2月4日の立春の前日という意味なのだった。クリスマスイブみたいなもんか。しかしそれがどうして豆まきなのだろう?
するとこれは「魔物を滅亡させる」から魔滅(まめ)となりそれが豆となった。ついでに鬼(魔物)の目に向かって投げるというのも魔目という語呂合わせのようだ。
じゃあ明日の立春の意味はどこから来てるのかというと、これは昼が一番短い冬至と、昼と夜が等しい春分との中間点ということだ。一年が4季節なら4区分けでいいような気もするが、それだと春分の日の3月20日から夏至の6月21日までが春になってしまうので実際の陽気とは合致しない。
う〜ん、暦のことはややこしくてこれ以上考える脳力がないのだけど、信心深い母は今夜はちゃんと一人住まいの家の中で豆まきをする。いつも最後にドアを開け外に向かって「鬼は〜外ぉ〜!」とやるのだった。
********************百人一首 その20******************
わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
<元良親王>
「わびぬれば いまはたおなじ なにわなる みをつくしても あわんとぞおもう」
【解説】苦しい思いをしているので、今はどうなっても同じです。難波の海にある澪標(みおつくし)のように、この身をつくしても貴女にお会いしたい。
<もとよししんのう>
「わび」とは悩む苦しむこと。澪標とは舟の道しるべとなる杭のこと。陽成院の第一皇子であった元良親王は「いみじき色好み」とか「一夜めぐりの君」などと呼ばれた大変なプレイボーイであった。この歌は宇多上皇の妃と恋仲になったものの二人の仲が上皇に知れ元良親王は罰として謹慎させられてしまう。そのときの気持を歌ったもの。歌の後半で「この身はどうなってもいいから貴女に会いたい」というのはいかにも直情的なプレイボーイらしさが伺える。
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