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今日は暖かかった。いよいよ本当の春が来た気分。なにしろ午後6時を回った自室で気温が25度もある。しかも今日の午後は曇天で日差しは無かったのにこれだ。なのに世間や街中ではコロナコロナで自粛に萎縮。海岸や公園まで立入禁止というのだものなあ。これじゃあ本当に出かける先が見つからない。
そんな中で昨日と今日は某スーパーのセールチラシが入り、それらを目当てに買ってきてほしいと頼まれたので2軒分を買いに出た。そしたらまずもって駐車場がほぼ満車、その割に店内はそんなに人は多くないと思ったのが大間違いで、各レジには長い列が出来ている。
並ぶ際、よくある6ftだの2mだのという間隔はとても無理で、1m間隔さえ難しい。今日の買い物に要した時間の半分はレジの列待ちだったんじゃないか。それくらい皆さん沢山の買い物をしている。そういうボクも今日はスーパーで1万円以上使ったぞ。酒も買わないのにさ。
とまあこれが今日の午前中のメインイベントで、午後は昨日に引き続きドナリーで練習。ネットで音楽仲間がZOOMなどを使ってリモートセッションする話題などが出ているが、いいよなあ、彼らはさ。管楽器だとリモートセッションうんぬんの前に音を出せる場所の確保が問題になるのだった。フルートならともかくサックスは全く無理な環境なのでした。
********************百人一首 その98******************
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
<従二位家隆>
「かぜそよぐ ならのおがわの ゆうぐれは みそぎぞなつの しるしなりける」
<じゅうにいいえたか>
【解説】風がそよぐならの小川の夕暮れは、涼しくて秋のようだ。けれども小川で行われている「みそぎ」が、今がまだ夏だというしるしである証拠だなあ。 作者の家隆は定家のライバル歌人であった。これは12ヶ月の年中行事を描いた屏風の6月の「水無月ばらえ」を前にして詠んだ歌。
「ならの小川の」奈良ではなく京都市の上賀茂神社付近に流れる御手洗川のこと。「みそぎ」旧暦6月29日(現在の8月初め)に行われる川で身を清める行事。次の日から秋になる。
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